今回はこの人を中心に。
(図1 タイトルからして天才的かと)
完全に個人的な話ですが、担当にとって『乙一』という名前は特別な響きがあります。
若干16歳にして、上記の「夏と花火と私の死体」(図1)で、故・栗本薫先生に激賞されてデビュー。
デビューがジャンプJブックスだったのは、現在のようにライトノベルの賞が多数あった時代ならなかったかもしれませんが、おそらく同じ”早熟の天才”であった栗本先生のプッシュなしではデビューできたか分からなかったわけですから、
結果的に幸運だったといえます。
その後数年の沈黙の後、再びスニーカー文庫・幻冬舎などにて作品を刊行。初のハードカバー作品「GOTH」は、本格ミステリ大賞にも輝きました。
その作風は、まだ作品数が少ないものの、言い表すならば”ダメ人間への愛”と”精神的フリークスの圧倒的な描写”ということになるでしょうか。
(図2 この色彩もまた魅力のひとつ)
古谷兎丸との共作「少年少女漂流記」(図2)や、そのほかのインタビューにおいてラジオ「伊集院光 深夜のバカ力」のヘビーリスナーであることを公言している乙一先生は、短編「幸せは子猫のかたち」、長編「暗いところで待ち合わせ」などで、
人と巧く交流することができないダメ人間たちへの賛歌をこれ以上なく書きあげています。
その一方で「死にぞこないの青」「GOTH」「カザリとヨーコ」などで、冷酷に復讐劇を成し遂げる小学生、人の痛みを感じられない少年、双子でありながらまったく立場の違う姉妹の皮肉きわまる悲喜劇など、明らかに”病んでいる”人々を
描きながら、それに説得力を持たせてしまう筆致は、ライトノベルとは一線を画すように見えながら、その実ライトノベル的(=キャラクター小説的)なこだわりのなせる技だと勝手に思っています。
(図3 雰囲気出まくり!)
そんな乙一先生の最近作は「The Book―jojo’s bizarre adventure 4th another day」(図3)長いですが、要するにジョジョの奇妙な冒険のノベライズ。構想から7年近くかかって書きあげたのはファンの間では有名な話です。
デビューの経緯や好きな作品の傾向、さらにはコミックのノベライズなど、乙一先生がライトノベルというジャンルになみなみならぬ親和といい意味での依存を抱いているのは間違いないのですが、その一方でライトノベルの現状や状況に複雑な気持ち
を抱いていることは、まさに”ハードカバー”で発売された「失われる物語」のあとがきにて明らかになります。この本は、スニーカー文庫などに収録されていた作品を再編したものですが、あとがきではライトノベルで発表されたがゆえ、ほとんど
顧みられることのなかった自作に対する韜晦に包んだ自嘲と怒りみたいなものがこめられていて、読んでいて少し悲しくなります。
子供向けだからいい、大人向けだからいい、とかそういう問題でもなく、作品を発表する媒体よる先入観、というのは、時として良い作品をうずもれさせることは事実です。
書いているうちにまたしてももやもやしてきたので、次回はさらに整理してこの話の続きです。
(担当 有冨)