
オイゲン・へリゲル著
1985年 福村出版
\3150(カバー小イタミ)
ドイツ人哲学者で戦前に東北帝国大学で教鞭をとってゐた著者が、弓道を通じて禅の真髄に触れる過程を描写した名著。 「月刊秘伝」の禅特集でも引用されてゐた有名な一節を以下に抜粋します。
ヘリゲル「私が弓を引き射放つのは、的にあてるためです。引くのはそれゆえ目的に対する手段です。そしてこの関係を私は見失うわけにはいきません。<後略>」
師範「正しい弓の道には目的も意図もありませんぞ!あなたがあくまでも執拗に、確実に的にあてるために矢の放れを習得しようと努力すればするほど、ますます放れに成功せず、いよいよあたりも遠のくでしょう。 あなたがあまりにも意志的な意志を持っていることが、あなたの邪魔になっているのです。<後略>」
本書58頁より
とくに近代合理主義の牙城たるドイツの哲学者に対してこのセリフは凄まじい(『意志の勝利』なんていふ独映画もありますし)。 当時の普通のドイツ人学者だったら弓を折って出て行ってもヲカシクないでせうね、しかしヘリゲルはさうせずに最終的には「的を狙はない弓道」を通じて禅の境地を垣間見ました。
ヘリゲル「私はもはや全く何も理解しないように思います。もっとも単純なことですら私を惑わせます。いったい弓を引くのは私でしょうか、それとも私を一杯に引き絞るのが弓でしょうか。的にあてるのは私でしょうか、それとも的が私にあたるのでしょうか<中略>その両者でしょうか、それともどちらでもないのでしょうか<中略>弓と矢と的と私とが互いに内面的に絡み合っているので、もはや私はこれを分離することができません。のみならずこれを分離しようとする欲求すら消え去ってしまいました<後略>」 本書109頁より
要素還元論や分析的思考に慣れ親しんだ人でも禅を通じてホリスティックな思考、 つまりバラバラの寄せ集めが全体ぢゃないんだよといふ発想、否、禅は更らに統一と分析、全体と部分と云ふ捉へ方を超越して○×△※……だんだんよくわからなくなってきましたが、ま、禅はもとより西洋哲学全般、また西田哲学などに興味のある方、そして弓道家の方などには是非読んで頂きたく思ひます。
(担当 山口ケン)
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