エネルギーを貯めるには、エネルギーの流入を増やすこと、エネルギーの消費を減らすことの両方が必要に思います。この両方に最も有効なのは、世界平和の祈りであるため何度も重要だと教えていただいているのだと思います。このように考えても問題ないでしょうか。
また、流入するエネルギーはどこから来るのでしょうか。根源からのものがいくつもの存在を経由して来るのだと教えていただいていますが、集合魂を経由、地球を経由等があると想像しますが、どのルートがメインになるのでしょうか。今日集合魂どの繋がりをイメージしたところ、エネルギーが入った感覚があったので質問させていただきました。
Kazu様
エネルギーを貯めるには、エネルギーの流入を増やすこと、エネルギーの消費を減らすことの両方が必要に思います。この両方に最も有効なのは、世界平和の祈りであるため何度も重要だと教えていただいているのだと思います。このように考えても問題ないでしょうか
●「祈る」という作業には皆さんは単純すぎて面白みがないとか、ダイナミックさがないとか色々物足りなさを感じられているかもしれませんが、そこには実に深遠な導きが内包されています。
今はこの質問の側面に沿ってだけお答えしますと、
@この後の質問にも関わっていますが、分かりやすくいいますとエネルギーを流入させるには集合魂の応援が必要ですが、祈りの効果で集合魂が上昇気流に乗れるため、相乗効果で地上のあなたにもエネルギーがおすそ分けされます。
(この言い方には語弊があるのですが、今は修正しないままにしておきます)
A「祈る」という行為に求められる要素の一つに「エゴを薄くする」というのが元々存在します・
つまりエゴが濃いと「祈れない」のです。
バカバカしいとか、子供っぽいとかエゴが感じてしまうのです。
この「祈る」行為は「自分を明け渡す」という単純なものではなく、本来「エゴを薄くする」という行為に準拠されるものです。
どう違うのかといいますと、
〇「自分を明け渡す」という行為は、「自分(責任)を他にゆだねる」という行為になります。
これはゆだねる先が良ければいいのですが、大概は間違って大変なことをしでかします。
〇「エゴを薄くする」という場合の祈りは、「自助努力」という作業が含まれます。
つまりエゴを薄くするために「自らを見つめる」という作業ですが、「自ら」というのがポイントで、この場合の「自ら」は「自分の嫌なところ」「ダメなところ」「見たくないところ」です。
そういう行為の推進剤として祈りが効果を発揮します。
そしてこの行為はあなたがいうように「エネルギーの消費を減らす」というとても有効な手段になっているのです。
個人のエネルギーの容量は、エゴが埋まるほど増えると考えてもいいのでしょうか。それとも生まれながらのものがあり一定なのでしょうか
●「エゴが埋まるほど増える」という質問の意味が判然としないのですが…おそらく「エゴが増えれば増えるほどエネルギー容量が増えるのか」という質問でしょうか。
もしそうなら否です。
そもそも「エゴが増える」という表現がちょっとおかしいです。
「エゴが濃くなる」とか「エゴが強くなる」といういい方が正しいですね。
個人のエネルギー量は生まれつき一定です。
増えも減りもしないのですが(これが先ほどの最初の質問時の「語弊がある」という変な言い方になるのですが、矛盾ともいうのでしょうか)、
「人のエネルギーは生まれつき一定である」
「しかしエネルギーを増やすことも出来れば減らすことも出来る」
これはまた答えが長くなる命題で、「エゴ」の本で詳しく書いておきますので、そちらで勉強なさって下さい。
虚空王55