虚空蔵55さま みわさま 月読之大神さま
こんばんは。
私の長い質問に、丁寧にお答えして頂き、ありがとうございました。回答が大変、興味深くもあり、また新たに謎が出てきたので、質問と確認をさせてくださいませ。
@通常の集合魂のルールは、前世の派遣と今世の派遣では、特徴は引き継がないというのが一般的。しかし、芸術家や音楽家の集合魂のように一種の専門分野を極めようとする人々は引き継ぐこともある。私や母の場合も、そのような集合魂という受け止め方で良いですか?
A今回の回答で、私の集合魂は「オリオン星系」とのことでしたが…以前には、プレアデス星系から来ていると書いて頂いています。ちょうど、2016年の暮れから2017年初頭あたりの質疑応答だったと思います。以下
>実はあなたも宇宙人なのです。ただNさんと異なりあなたは約1億年前に地球に降りてきているプレアデス系の宇宙人です。
>惑わせてしまったのは私のせいで、OSさんは立派なイルプロラシオン(という惑星出身)ですが、あなたはイルプロラシオン星系ではあるのですが、プレアデスの影響が強いところから来ています。イルプロラシオン星系は結構広い星系で、どこからどこまでがという具合にキッチリと分けることが中々難しいところです。
>ですからイルプロラシオンの特徴である「支配されたい」という観念に強く凝り固まった魂ではなく、もう少し自由な「探求したい」という比重が大きい魂です。
という内容でしたので、私は当初、伝えて頂いていたイルプロラシオンではなくプレアデスなのだなと理解しておりました。ですが、今回の回答ではオリオン星系。これは、どう、捉えたら良いのだろうか?と思っております。出自の星と地球の6次元での集合魂というのは、また違ってくるものなのでしょうか?
B今回、オリオンの傾向として書いて頂いている
>オリオンは良くも悪くも外見を気にします。それもものすごく。人にどう思われるか、どう思われるかの自分を真っ向からイコールにしたいという、自分のプライドと世間体を同等にしたいという傾向性が強いのです。
文体だけをそのまま受け止めた時、これは、私の形質なのか?と何度、熟考してみても、私の中には限りなく無いに等しいものだと思えたのです。確かに、見栄や外見、ブランド、世の流行りを求めることも、グルメもファッションも女子的発想にも興味はなく、それはその通りです。
明確にあるのは、時代が大きくシフトしている今、ご縁ある方の魂が、少しでも盲目状態から目覚め、新たな善き時代の地球へと移行して頂くために、魂の進化成長に貢献できる在り方が、どうしたらできるのかという、私が自覚している志を成すことと
同時に現状、協会を運営、継続させるという責務もある以上、プライドと世間体を同等にしたいというよりも、その役割も踏まえ、人々に「どう分かりやすく、効果的に見せたら良いのか」という「見せ方」を一生懸命、考えることはあります。
私個人の根底に在るのは、人は人、私は私。人と比較したり、世間に合わせ、世間体というものを気にすること自体、愚かで、そういう観念が進化を阻むのだと常に思えている位なのです。
とはいえ、私には観えていない視点で観ておられると思うので、月読之大神さまと虚空蔵55さまとがおっしゃる、きらびやかな美意識というのは、こういった私の思考そのものを指す、ということなのでしょうか?
C私が最も理解できたのは、宇宙全史の講師の認可を出して頂いているのは「押しつけがましい」ところと書かれたくだりでした。笑ってしまいました^^。これは、通称「辛子レンコンラブ」のことだと思いました。うちの協会では誰もが知る、文化のようになっています。こちらも、私の以下の有り様のことなのか確認させてくださいませ。
18年以上前位だったと思いますが、ある時、私は「不動明王」の有り様で生きようと決めたことがありました。今もその時、決めた有り様で生きているといえます。不動明王が、押しつけがましいかどうかは分かりませんが…
実は、そう決める以前は「聖母マリア」を理想としてかかげ、ヒーリングやセラピー、カウンセリングをやっていました。現在の私を知っている人に話すと、皆、笑うのですが、その時の屋号は「ふろ〜ら〜る、ひ〜りんぐ」で、私の本来のエネルギーとは、かけ離れた、やわらかい、ひらがな名でした。
当時の私は、ヒーラーとは「聖母マリア」のようなイメージであり、どんなクライアントさんに対しても「共感」「寛容」「愛」「癒し」「調和」「ひたすら受け止める」をモットーにやっていました。しかし、それをやればやるほど、魂胆がある男性や、いつまでも依存する人、被害者意識で言い訳ばかり言う人を引き寄せて、理想としていた魂の癒し、進化成長とはならず、経済的にもイマイチで、私自身が疲れ果てました。
人の痛みや人生における苦しみは、根源的に、その人が観ないといけないものを気づかせんがために事象として浮上していると分かってきていたのですが、ヒーラーは、私の中で「優しくあるべき」のイメージが強くて、勇気を持って、目の前の人に、そのことを伝えるだけの術も、言葉も、覚悟も、当時は持ち合わせてはいませんでした。何より、私自身が自分に全く、正直ではなかったのです。
ある時、はたと、これまでは全部、私自身の学びで、私は聖母マリアのエネルギーではなく、人々の煩悩を炎で焼き尽くすことで愛を現わす「不動明王」のエネルギーのほうにこそ、近い気がする、聖母マリアも不動明王も、それぞれの愛の現れ方が違うだけならば、私は「不動明王」の有り様で生きる方が、私らしい。であるならば、そっちを選ぶ、と決めたのです。
自分に不正直な在り方をしていた、ヒーラーやカウンセラーは辞め、屋号も「キャリア・プロデュース」に即、変えました。言いたいこと、伝えたいことを言わない人ではなく、魂の進化成長において、もっとも大事だと思うことは、例え、相手に嫌われようとも、その縁が一期一会になったとしても、その人が後に振り返った時、気づきとなるインパクトとしての価値を、伝えられる人で在れればいい。
そう思い、更に、自ら温めていた内容をテキストにして、トータルバランスセラピスト養成講座を開き、志事の路線も講師やコーチ、個人コンサルに変えました。全国を飛び回るようになり、それからOS先生に出会い、更に様々な経験や事象から学び、ステージアップを繰り返し2014年には協会を創って今に至っています。
麦茶さんが書かれていた「共感」や「優しい言葉を求める」のが今の世の主流とするならば、私は、その耳心地の良いものだけを求めすぎる根底にあるものを観て!というようなことを言うので時に、冷たい人とか、強すぎると、思われるのかもしれません。
不都合な出来事が起こると、周りに共感だけを求め、観ないといけない自分自身から、目を背け続ける世の中の人々の傾向に合わせるよりも、不都合に満ちた、この時代を選んで生れた魂達がレベルアップする為に、些細であっても、何らかの礎となり、学びとなり、インパクトになれたら本望だ位に思えているのです。
これが日頃ベースとして思う思いで「不動明王」の如く在る「辛子レンコンラブ」なのですが、このような、押しつけがましい在り方が、月読之大神さまから観たら宇宙全史の講師として認可して頂けている所以でもあると、受け止めて良いのでしょうか?
D最後にもうひとつ
「視点が逆転しつつあるのは、いいことじゃやない」についてなのですが、もしかしたら、ニュアンス的に、違う意図で受け取られて回答を頂いているのかも…と感じましたので、改めて、確認させてくださいませ。下記に書かせて頂く意図も、了承済みのことでの回答でしたら、申し訳ございません。
私に浮かんだ「今、ようやく人類の意識の探求の扉の前に立った…」というインスピレーションから受け取った言葉の意図は、どっぺんさんのように、日々、瞑想され、実存の領域を目指し、そこに到達していくことでの探求ということを、意図したことではありませんでした。
先に、いろいろ書かせて頂いたように、私自身の自覚している役割を成していくための幅として、ステップアップとして、目に見えるものも人生も、全てが、ひとつの意識の源「I am that」という創造性の意識から出来上がっているのだと
理解した時、人間の無自覚領域にある意識を探求し、何らかの論理やコンテンツ、スキルやワークを構築していきたいという思いに結びついたものでした。
多くの人が、より良く変わりたいと表面意識でいくら願っても、それを阻む「無意識の根底にある、強固に根付いている何らかの負の信念や思い込み、透明なエゴ」に、気づくことができないと、表面上の意識で何を学んでも、選択しても、
辛子レンコンをいくらしても、結局は、その根底にある強固なエゴや信念が人生全般、見えない領域にさえも影響し、現実を作ってしまうと認識しています。だからこそ、祈りなのだとも理解しています。
あまりに強固な根底にある負の信念を持つ人は、祈りさえもままならない。しかし、同時に、現実の不都合を通じ、その根底にあるものを深堀り、浮上させて、選び直す、その論理と術を見出せば、もっと楽に、人はより良い変化への気づきが進むのではないかと、その時に、思えたのです。
そこから現実が、上手く行かない人の、根底を探れば探るほど、陰始の毒矢にかかったような、自己を破滅させたいというニュアンスを持つ、無自覚の思いがある人も多いように思わなくもないと気づきました。各々、それを自覚したならば、自分では、どうしようもない愚かさに、人は真剣に祈り、自覚したエゴを薄めようと努力するのではないか…と。
この約4年で、因果律からなる「人生の地図」と新たな時代への方向性を、分かりやすくNE運命解析学として創ったのですが、今度は、因果律から解放される為の「具体的な地図の歩き方」を探求できれば…という意図でもあったのです。このように意図したことは「視点が逆転しつつある、いいことじゃない」ということになりますか?
相変わらず、長文になってしまい、すみません。思いの丈を書くと、どうも、毎回こうなってしまいます。お手数かとは思いますが、どうぞ、よろしくお願い致します。
世界が平和でありますように
私たちの天命が全うされますように…
月読之大神さま
五井先生、慈悲の無い世界で
慈悲を、いつもありがとうございます。
2018・4・27
@通常の集合魂のルールは、前世の派遣と今世の派遣では、特徴は引き継がないというのが一般的。しかし、芸術家や音楽家の集合魂のように一種の専門分野を極めようとする人々は引き継ぐこともある。私や母の場合も、そのような集合魂という受け止め方で良いですか?
●アーティストの集合魂は一種の精霊のようなもので、地上での輪廻からは少し外れたところにある者たちです(精霊っぽくない者もおりますが)。
もちろんそれでも地上に降り立つ限りはその制限(輪廻)の輪の中に取り込まれてしまいますが、それでもエネルギー量の多さから人の魂ほどがんじがらめになることはないようです。
あなたの場合はそういう魂ではなく、一定の天命をお持ちですが、通常の集合魂として地上での修業は存在しています。
A今回の回答で、私の集合魂は「オリオン星系」とのことでしたが…以前には、プレアデス星系から来ていると書いて頂いています。ちょうど、2016年の暮れから2017年初頭あたりの質疑応答だったと思います。以下
>実はあなたも宇宙人なのです。ただNさんと異なりあなたは約1億年前に地球に降りてきているプレアデス系の宇宙人です。
>惑わせてしまったのは私のせいで、OSさんは立派なイルプロラシオン(という惑星出身)ですが、あなたはイルプロラシオン星系ではあるのですが、プレアデスの影響が強いところから来ています。イルプロラシオン星系は結構広い星系で、どこからどこまでがという具合にキッチリと分けることが中々難しいところです。
>ですからイルプロラシオンの特徴である「支配されたい」という観念に強く凝り固まった魂ではなく、もう少し自由な「探求したい」という比重が大きい魂です。
という内容でしたので、私は当初、伝えて頂いていたイルプロラシオンではなくプレアデスなのだなと理解しておりました。ですが、今回の回答ではオリオン星系。これは、どう、捉えたら良いのだろうか?と思っております。出自の星と地球の6次元での集合魂というのは、また違ってくるものなのでしょうか?
●宇宙全史における情報開示には様々なパターンがあります。
単純に私の勘違いもたまにありますが、大体は開示基準というのがありまして、その人の進度に応じた開示が行われています。
例えば私の場合、私の本体が遊撃手だと明かされたのはこのワークの中頃より後だったはずです。
それまでは非公開情報でもお馴染みの私の受け持ったカルマとのあがきが象徴していますように、私は「魔導師」そのものだったはずです(厳密にいいますとすでに五井先生が入っておられたので100%ではなかったのですが)。
しかし私の境涯が変わっていくと遊撃手という正体が明らかにされ、現在では更なる在り様も徐々に降ろされています。
(例えば何年か前にここで虚空蔵菩薩(アカシックレコードの神格版ですが)の眷属の白蔵という存在が私についていると書いたことがありましたが、この白蔵は虚空蔵の五色の有様の白、赤、青、黄、黒の中の法界虚空蔵という森羅万象を縦横無尽に包括する者、それが白蔵という存在になります)
あなたの場合も同じで基点はオリオンですが、イルプロラシオンはもちろんプレアデスの要素を学びの過程で受けています。
当時は大きく影響を受けているイルプロラシオンとプレアデスの気配が強くオリオンの要素は発現していなかったので降ろされていません。
人は魂の成長過程での深度や練度によって奥底に秘められた発現しない要素を明らかにすることでまた一層の飛躍を遂げることが可能となるのです(もちろん人にもよりますが)。
B今回、オリオンの傾向として書いて頂いている
>オリオンは良くも悪くも外見を気にします。それもものすごく。人にどう思われるか、どう思われるかの自分を真っ向からイコールにしたいという、自分のプライドと世間体を同等にしたいという傾向性が強いのです。
文体だけをそのまま受け止めた時、これは、私の形質なのか?と何度、熟考してみても、私の中には限りなく無いに等しいものだと思えたのです。確かに、見栄や外見、ブランド、世の流行りを求めることも、グルメもファッションも女子的発想にも興味はなく、それはその通りです。
明確にあるのは、時代が大きくシフトしている今、ご縁ある方の魂が、少しでも盲目状態から目覚め、新たな善き時代の地球へと移行して頂くために、魂の進化成長に貢献できる在り方が、どうしたらできるのかという、私が自覚している志を成すことと
同時に現状、協会を運営、継続させるという責務もある以上、プライドと世間体を同等にしたいというよりも、その役割も踏まえ、人々に「どう分かりやすく、効果的に見せたら良いのか」という「見せ方」を一生懸命、考えることはあります。
私個人の根底に在るのは、人は人、私は私。人と比較したり、世間に合わせ、世間体というものを気にすること自体、愚かで、そういう観念が進化を阻むのだと常に思えている位なのです。
とはいえ、私には観えていない視点で観ておられると思うので、月読之大神さまと虚空蔵55さまとがおっしゃる、きらびやかな美意識というのは、こういった私の思考そのものを指す、ということなのでしょうか?
●例えそれが煌びやかなオリオンの美意識であろうとなかろうと「エゴ」には変わりはないのです。
しかしそれを俯瞰するにはまだまだ精進がいるようです。
それが高校生と大学生の大きな差なのですが。
そしてそれにこだわる限り精神世界の大学という課程には進めないということになりますが、地上を含むこの宇宙の「形の世界」「現れの世界」で生きていきたい、嫌なことも悪いこともあるだろうけど、もっとこの世界を探求してみたいし、もっと楽しみたいというのならもちろんそれもありです。
この問題は時を待たざるを得ません。
C私が最も理解できたのは、宇宙全史の講師の認可を出して頂いているのは「押しつけがましい」ところと書かれたくだりでした。笑ってしまいました^^。これは、通称「辛子レンコンラブ」のことだと思いました。うちの協会では誰もが知る、文化のようになっています。こちらも、私の以下の有り様のことなのか確認させてくださいませ。
18年以上前位だったと思いますが、ある時、私は「不動明王」の有り様で生きようと決めたことがありました。今もその時、決めた有り様で生きているといえます。不動明王が、押しつけがましいかどうかは分かりませんが…
実は、そう決める以前は「聖母マリア」を理想としてかかげ、ヒーリングやセラピー、カウンセリングをやっていました。現在の私を知っている人に話すと、皆、笑うのですが、その時の屋号は「ふろ〜ら〜る、ひ〜りんぐ」で、私の本来のエネルギーとは、かけ離れた、やわらかい、ひらがな名でした。
当時の私は、ヒーラーとは「聖母マリア」のようなイメージであり、どんなクライアントさんに対しても「共感」「寛容」「愛」「癒し」「調和」「ひたすら受け止める」をモットーにやっていました。しかし、それをやればやるほど、魂胆がある男性や、いつまでも依存する人、被害者意識で言い訳ばかり言う人を引き寄せて、理想としていた魂の癒し、進化成長とはならず、経済的にもイマイチで、私自身が疲れ果てました。
人の痛みや人生における苦しみは、根源的に、その人が観ないといけないものを気づかせんがために事象として浮上していると分かってきていたのですが、ヒーラーは、私の中で「優しくあるべき」のイメージが強くて、勇気を持って、目の前の人に、そのことを伝えるだけの術も、言葉も、覚悟も、当時は持ち合わせてはいませんでした。何より、私自身が自分に全く、正直ではなかったのです。
ある時、はたと、これまでは全部、私自身の学びで、私は聖母マリアのエネルギーではなく、人々の煩悩を炎で焼き尽くすことで愛を現わす「不動明王」のエネルギーのほうにこそ、近い気がする、聖母マリアも不動明王も、それぞれの愛の現れ方が違うだけならば、私は「不動明王」の有り様で生きる方が、私らしい。であるならば、そっちを選ぶ、と決めたのです。
自分に不正直な在り方をしていた、ヒーラーやカウンセラーは辞め、屋号も「キャリア・プロデュース」に即、変えました。言いたいこと、伝えたいことを言わない人ではなく、魂の進化成長において、もっとも大事だと思うことは、例え、相手に嫌われようとも、その縁が一期一会になったとしても、その人が後に振り返った時、気づきとなるインパクトとしての価値を、伝えられる人で在れればいい。
そう思い、更に、自ら温めていた内容をテキストにして、トータルバランスセラピスト養成講座を開き、志事の路線も講師やコーチ、個人コンサルに変えました。全国を飛び回るようになり、それからOS先生に出会い、更に様々な経験や事象から学び、ステージアップを繰り返し2014年には協会を創って今に至っています。
麦茶さんが書かれていた「共感」や「優しい言葉を求める」のが今の世の主流とするならば、私は、その耳心地の良いものだけを求めすぎる根底にあるものを観て!というようなことを言うので時に、冷たい人とか、強すぎると、思われるのかもしれません。
不都合な出来事が起こると、周りに共感だけを求め、観ないといけない自分自身から、目を背け続ける世の中の人々の傾向に合わせるよりも、不都合に満ちた、この時代を選んで生れた魂達がレベルアップする為に、些細であっても、何らかの礎となり、学びとなり、インパクトになれたら本望だ位に思えているのです。
これが日頃ベースとして思う思いで「不動明王」の如く在る「辛子レンコンラブ」なのですが、このような、押しつけがましい在り方が、月読之大神さまから観たら宇宙全史の講師として認可して頂けている所以でもあると、受け止めて良いのでしょうか?
●あなたがここの講師を務められているというのはそういうことではありません。
あくまでも陰始の影響をあまり受けていないという一点に尽きるのです。
どんなやり方、どのような教え方でもそれはその人それぞれです。
もちろん一定水準の立場にないと講師にはつけませんが、それでもそこに立つことが出来るかどうかはひとえにその人の陰始度の薄さによるのです。
「押しつけがましい」というのはオリオンの有様で、どちらかというとエル・ランティに似ていないこともないですね。
あれはすごいですよ…豪華絢爛で煌びやかですが…あなたの煌びやかはそういう物質的なところではないのですが。
またあんなに陰始にがんじがらめにされてはいませんが、独特の美意識をお持ちだという点は同じかもしれません。
何といいますか「こういうやり方でないとダメ」という感じでしょうか。
D最後にもうひとつ
「視点が逆転しつつあるのは、いいことじゃやない」についてなのですが、もしかしたら、ニュアンス的に、違う意図で受け取られて回答を頂いているのかも…と感じましたので、改めて、確認させてくださいませ。下記に書かせて頂く意図も、了承済みのことでの回答でしたら、申し訳ございません。
私に浮かんだ「今、ようやく人類の意識の探求の扉の前に立った…」というインスピレーションから受け取った言葉の意図は、どっぺんさんのように、日々、瞑想され、実存の領域を目指し、そこに到達していくことでの探求ということを、意図したことではありませんでした。
先に、いろいろ書かせて頂いたように、私自身の自覚している役割を成していくための幅として、ステップアップとして、目に見えるものも人生も、全てが、ひとつの意識の源「I am that」という創造性の意識から出来上がっているのだと
理解した時、人間の無自覚領域にある意識を探求し、何らかの論理やコンテンツ、スキルやワークを構築していきたいという思いに結びついたものでした。
多くの人が、より良く変わりたいと表面意識でいくら願っても、それを阻む「無意識の根底にある、強固に根付いている何らかの負の信念や思い込み、透明なエゴ」に、気づくことができないと、表面上の意識で何を学んでも、選択しても、
辛子レンコンをいくらしても、結局は、その根底にある強固なエゴや信念が人生全般、見えない領域にさえも影響し、現実を作ってしまうと認識しています。だからこそ、祈りなのだとも理解しています。
あまりに強固な根底にある負の信念を持つ人は、祈りさえもままならない。しかし、同時に、現実の不都合を通じ、その根底にあるものを深堀り、浮上させて、選び直す、その論理と術を見出せば、もっと楽に、人はより良い変化への気づきが進むのではないかと、その時に、思えたのです。
そこから現実が、上手く行かない人の、根底を探れば探るほど、陰始の毒矢にかかったような、自己を破滅させたいというニュアンスを持つ、無自覚の思いがある人も多いように思わなくもないと気づきました。各々、それを自覚したならば、自分では、どうしようもない愚かさに、人は真剣に祈り、自覚したエゴを薄めようと努力するのではないか…と。
この約4年で、因果律からなる「人生の地図」と新たな時代への方向性を、分かりやすくNE運命解析学として創ったのですが、今度は、因果律から解放される為の「具体的な地図の歩き方」を探求できれば…という意図でもあったのです。このように意図したことは「視点が逆転しつつある、いいことじゃない」ということになりますか?
●まずあなたの誤解から説明しておきます。
人の無意識領域=真我(実存)
ではありません。
人の無意識領域は単に人が意識していない(出来ない)領域に過ぎず「意識していない領域」はその人により様々です。
極端にいいますと無意識という領域を知らない存在さえいるのです。
ちょっとわかりにくいかも知れませんが、立場によって無意識の領域というのは存在しなくなります。
つまり無意識領域というのは努力すれば(あなたの仰るように)そこから様々なものを持ってくることは出来ますが、不可知領域である真我(実存)からは何ものも持ってくることなど出来ないのです。
真我(実存)という領域は「人間の無自覚領域」というようなものではなく、そういう領域すらも遥かに超えた在り様なのです。
あなたは通常の人間の「無意識領域」と「真我(実存)」の「無」を混同している、或いは同じものとしてみています。
もっといいますと通常の「無意識領域」というのは普通の意識領域と同じカテゴリー(領域)にあるもので、ただ視点が異なる立場から見るといい方が変わるだけなのです。
ですからあなたの仰るように無自覚領域から何やかやを引っ張り出してきて地上の何やかやの役に立てるということは出来ないことではありませんが、やっていることは同じく現れの世界において動き回っているだけのことになります。
これまでこの宇宙全史のワークでは不可知である真我の詳細な言及はなるべく避けていました。
そもそもそこに関して何かを言及するなどということは原理的に出来ない領域ですから、どう理解して頂ければいいのでしょうか(と最近は悩みまくっている私です)。
上記のことはさておきましてあなたが新たにやっておられるカリキュラムはあくまでも地上のカリキュラムでして、それがあなたの視点の逆転につながっているわけではありません。
もちろん現状あなたが精いっぱい考えて実行しておられるカリキュラムはそれはそれでいいのです。
そうやってあがいていく中での修業というのがあなたのやり方になっています。
しかしそれが視点の逆転につながることはありません。
「逆転しつつある」といわれているのは「エゴが薄くなりつつある」と同義なのです。
あれこれやって、色々あがいて、すったもんだしてやがてそういう中であなたはいつしか「ああこれは必要なかったんだ」と知る日が来るかもしれません。
或いはもっともっとと様々なカリキュラムを工夫して、素晴らしいシステムを構築し、多くの人々に喜ばれるかもしれません。
どうなるかは私の関知することではなく、あなたの望むとおりに進行していくことでしょう。
しかしそこで現状月読之大神は「逆転しつつある」と仰ったわけですから、その行く末は(私にとっては)楽しみなことかも知れません