虚空蔵55様 みわ様
日々の深遠な御指導まことにありがとうございます。
宇宙全史質疑応答15を戴きまして、2ヵ月近く経ちました。
読み返し、考える毎に、更に感謝の思いを深くしています。
いつも通り大した内容ではありませんが、この間の状況を振り返り、ご報告させて戴こうと思います。
まず、毎度お恥ずかしい、私の弟子なりたがりという病の底にある甘え、慢心、劣等感などを改めて御指導いただきましたので、それを今後繰り返さないよう日々過ごすためにはどうしたらいいか考える習慣をつけることからはじめました。
エゴがままならない、ままならないのがエゴですが、あと少しで「エゴの本」をいただけると自分に言い聞かせ、それまでは今回の御教示をメソッドにして瞑想を続けていきます。
柔らかいお祈り、世界平和の祈り、みわ様への祈り、月読之大神の祈りをくり返し、諸霊諸神に感謝を捧げ、月読之大神と五井先生のタッグ光線を深い感謝とともに拝受しています。V仮仏陀に感謝を捧げる時、最初にご指導いただいた頃に見つめていた仏陀の画像が浮かんできます。
先日バーナデット・ロバーツが述べているNo-selfと少し近い状態になれたかなと感じましたので、昨日、EOの蔵書で、「自己喪失の体験」を読みました。EOはそれを7回以上読んでおられ、それぞれ違うアンダーラインが引かれ、その度毎に引いた箇所を区別できるようにしてありました。
瞑想を記述することは殆ど不可能な作業ですが、この方の言葉は大変深い示唆に富んでおり、私の体験などまだまだ戸張口だということがよく分かります。
私の現状は、うまくいった時は、エゴが薄れ、際限のない全くの無になりますが、しばらくするとエゴが出てきて雑念が湧いてきます。ただ、無は一様ではなく、グラデーションというか、質の違いがあるように思われますが、それを記述する言葉を見つけるのはとても困難です。(とても深い無になるのですが、これが以前ご指摘いただいた真っ黒なエゴのスモッグのままでない事を祈っています)。
このことと関連して、真我を目指し瞑想を行う上でも、フラクタル次元の理解が必要だと思うようになりました。自分のこれまで限定してきた捉え方をより開かれたパラダイムに変えることに結びつくと思います。
先日satsuki様の質問で書いた文章です。
「祈りに役立つ瞑想的アプローチが成り立つかどうか考えてみます。
瞑想は何も思わないことを目指す側面があり、その状態にたどりつくためにとる方法の一つとして祈りは有効です。
私は「柔らかいお祈り」「世界平和の祈り」「月読之大神の祈り」の後、諸神諸霊に感謝を捧げ、月読之大神と五井先生のタッグ光線を拝受するよう祈ります。
瞑想を始めた頃に見つめながら瞑想に入っていた仏陀の画像を思い浮かべ、V仮仏陀に集合点が届くよう願いつつ、瞑想を続けます。
無はただの無ではなく、深くなっていく特質があります。我々の境地を反映するところがあるのでしょうか。フラクタル次元との関連も何か解明されることがあるのかもしれません。
自分の状態そのものであることと祈りを行うことは両立しますので、冥想と祈りはある一つのことの別の呼び方になるのかもしれません。
時にワンネスがあらわれることがあります。その時は時空が止まった感じになります。
想念が生じて、エゴにまつわる様相が優勢になることがありますが、静かに通り過ぎるのを待ちます。
ひたすら祈りを継続していると、真我が顕現してくる道に入っていくのではないかと感じます。私は千歩手前ということですが、そこが近づくということが成り立つために何が一番必要かと考えると、それは祈りしかありません。今はみわ様の御快癒を心から祈ります」
質問を二つお願いします。
実存と真我がこの度区別されましたが、実存から真我(完全覚醒)に至る時に生じることは何でしょうか。存在でなくなることでしょうか。その時にその事態で、意識と何か関係が生じるものなのでしょうか。
No.424の宏史様へのご回答で、
「宇宙全史における「意識」の定義です。
@「意識」とはこの現れの宇宙における根源的なエネルギーである。
A「意識」は真我から最初に染み出たもので、その出た瞬間に二元性を発現する。
B オーム宇宙における原初の二元性は、意識が陰陽に分かれた時に発現したとする。
C 陰陽に分かれた意識(エネルギー)は、確かに二元性を構築し続けるが、それが陰であれ陽であれ意識自体はあくまでも二元性の範疇にはないともいえる。
D 原初のオーム宇宙における陰陽の配分は、若干陰が勝っていた。
大体こんな感じです。
「意識」の定義は、通常人間界では「人間の意識」とか「もうダメだ、この人は意識がないよ」とかで使用され、人間の自覚作用のようなものと思われていますが、本当の意識は、宇宙に遍満するエネルギーであり、全ての源であるのです。
それをまた愛と表現しても間違いではないのですが、人間界における愛の使用法が間違っているため推奨は出来ません。
ただ意識自体に二元性はなく、陰陽に分けたために二元性が発現しています。
そしてその意識が二元性の中で目的を持ち、方向性を示すとき、それを意図と呼びます。」と教えていただきましたが、真我になるとは、我々末端の個である意識がこの大元の意識に遡行して、それが真我に帰還することなのでしょうか。
もう一つの質問です。
EOの遺骨を飲ませていただく(もちろん御許可いただくまでいたしません)という究極のアイテムは、真我へ至る道を目指す上でどのような武器であるのでしょうか。
以上いつも未熟な質問ですが、御指導よろしくお願い申し上げます。
虚空蔵55様 みわ様いつもありがとうございます。月読之大神 五井先生まことにありがとうございます。
2020・2・2
どっぺん様
「真我になるとは、我々末端の個である意識がこの大元の意識に遡行して、それが真我に帰還することなのでしょうか」
●はい
ただ「大元の意識」などという事は書いていないはずです。
「EOの遺骨を飲ませていただく(もちろん御許可いただくまでいたしません)という究極のアイテムは、真我へ至る道を目指す上でどのような武器であるのでしょうか」
●人それぞれであり、またその時の段階によります。
虚空蔵55