健康診断で毎年「再検診」の烙印を押されるまんだらけメタボ社員を中心に結成された「ライト登山部」通称【デブ登山部】。
健全な精神を培うべく日本各地の名峰に挑戦するまんだらけ登山部とはコンセプトや目標もまったく異なる「山道の違和感」。
「ダイエットのため山に登るのではない!」
「使ったカロリーは山頂で取り戻す!」
素直に負けを認めない富士山級のプライドと合言葉を胸に不定期で活動中。

尿酸値やHbA1cの数値がよくない従業員によるデブ登山部
第2回 【鎖場で死ぬか】伊豆ケ岳〜子の権現〜吾野駅【脱水症状になるか】

※写真をクリックすると大きくなるよ!

◆ プロローグ

社長による「やつらを登山に連れて行け!」の命令一下、役員や取締役が社内のデブ数名をコトバで縛りつけて精神的に逃げれないようにがんじがらめにし、高尾山から景信山までを往復14キロをまるで八甲田山死の行軍のような足取りの重さで踏破したのが昨年の12月のことです。
高尾山というと学生が笑いながら登るくらいの勢いですが、景信山まで縦走してくとけっこうキツい、というか認識の甘さを感じさせられた一日でした。

そんな艱難辛苦も終ってみればなんとやらで、われわれデブは「あれはあれで大変だったが、これであと1年は登山しなくてもいいな」とほくそ笑んでいたのですが、その後とくに何の運動もしないで数値が良くなるはずがありません!
あの日一日で10キロくらい痩せた心境でしたが、体重計に乗ってみるとかわらぬ数字が現実としてのしかかってきます。

しかし気にせずその後もやっぱりPCを見つつチップスターをペロペロ食べる生活をしていると、社内の取締役周辺で不穏な風説が流れているのでした。
「今度のデブ登山部は・・・」とか「春先のうちに・・・」などとです。デブにとっては前の運動から次の運動まではつねに「1ヶ月程度前」に感じられるので、おいおい、この間登山したばかりなのにもう行くのかよ!秋とか冬でいいよもう!とブルブル震えがきたのでした。

何故か「今度の○曜日どう」とか「予定は空いてる?」などという本人の希望、都合、参加か否かの具体的な聴取や勧誘もないまま、社内メールで「次のデブ登山部は4月X日です」などと決定項だけが通知されてくるのでした。
これこそ恐怖新聞です。

本人に直接言うのではなく風説の流布から始まり、本人は知らされていないのに周囲から「次はどこの山にいくんですか?」と訊かれまくるという、断れない雰囲気を醸し出していくあたりが流石です。
しかし予定日がどうしてもシフトの都合で参加できず、これはやったぞと思いつつ「ちょっと予定がつかないんだよね・・・(のこったほかのデブ勢でいってくるといいよ)」という心の声モロバレで辻中さん(副社長)に伝えたところ

「そうか」
「でも岩井がいけねえと意味ないから、竹下にいって日にち変えてもらえ」

などとまったくうれしくないことをいうじゃないですか!!

「分かりました・・・」
そのときの私の心中は「餓狼伝」でいうとこんな感じでしょうか。

といってあーあと思いつつ副社長をチラとみると、ふいに『岩井お前それはほんとダメ』と仕事の不備を注意する時のような苦い一瞥を食らわすのでした。
そのときのイメージがこんな感じでしたね。

かくして、無事に、かつ強引にわれわれデブの都合がつけられて、5月13日にデブ登山部が決行されることになったのです。前回は「ベトナムに行け」といわれた心境でしたが、今回はクリスタルレイクのキャンプ場にムリヤリ行かされたイメージでした。
予定日が13日の金曜日だったからかもしれません。

◆ 伊豆ケ岳とは

前回「高尾山なんてピクニックと同じでしょう〜?」と軽く安請け合いして失敗したので、今回はどれくらい歩いたり登ったりするのか調べたところ伊豆ヶ岳は標高が850メートルで、途中ガケに鎖を打ち付けたところを歩行する鎖場があるという。そこから延々と山道をあるいて子の権現という権現さまを通り、休憩をいれて7時間ほど、歩く距離は14キロという行程。
だいたいフツーに考えて平な道路ですら14キロあるくデブなんてまずいないじゃないですか。
それを山道で上がったり下りたりしてヒーコラいって14キロというのは正気の沙汰じゃないというか、よくよく考えたらじゃあやってみますかね、って話にならない気がします。
職場のある中野からだと14キロといったらどこだ、西だったら新小金井あたりで東だったら浅草駅あたりです。これは歩かないですよ、はい。中野から浅草まで歩いてるうちに3杯はラーメン食べると思う。

これは大変なことになった。フォークランド紛争におけるグースグリーンの戦いみたいなのが来たなと直感しました。

◆ 増えるメンバー、しかし全員ガリ

今回は新たなメンバーが加わるということで「やった! 前回自分が一番デブだったから、もっとヒドいデブ介が参加してくればいいな」と心の醜さを隠さずに期待していたところ、新たに参加するのは事務所の藤川姉妹、あと秋山さんと清水さんだといいますね。

全員太ってないじゃないですかぁ〜〜!!
それどころかジムとか通ってる人ばっかりじゃないですかぁ〜〜!!

これには本当に呆れました。デブが自分の劣弱な運動能力を隠さずカミングアウトしてヒーヒーハーハー一歩ずつみじめに山を登る、という主旨だったと思うのに、そこに運動能力の高い人ばかり投入してどうする!!

余談ですが、マラソン大会のビリになったことありますか。
私はあります。小学4年のときに。

全学年200名のビリが自分で、やっとこさ校庭に戻ってきたところ「さあ最後のランナーです、皆さん拍手でお迎えください!」と高らかなマイクに合わせ、心の優しい女子や先生に憐れみのまばらな拍手をいただいてヒーヒーいいながらゴールすると、そこには「このデブがゴールしないと俺たちスタートできねんだよな」と上の学年が全員仏頂面でスタートラインでまっているという、このメチャクチャな居心地の悪さを味わったことがありますか。

とりあえずデブ小学生は、アハハ、これしきの距離であんなに時間かかってやがるの〜と同級生に笑われることはぜんぜんOKでも、あんなに運動オンチのでぶっちょうも頑張ってゴールしようとしてるのネ、えらいワなどと女子に憐れみの拍手を受けるのはホント勘弁なんですが、小学校の先生はホントそういうのをわかってないですね。あれは心のキズになりました。今回はアレの再来になるのか。なるに違いないな、30年ぶりに、と早くも睡眠が浅くなる有様でした。

◆ 当日

前回は登山靴はこういうの、水はどれくらい、装備はこうとレクチャーしてくれたやさしい副社長も今回はなーんもなく、だいたい具体的な決行日が決まって連絡来たのが一週間とか、最初は楽な山そうだったのが副社長の「なーんか盛り上がんねんだよな」という軽い発言を元に突如厳しい山になったとか、ホントおかしいなと思う点は多々あれど、やってきました当日が。

西武秩父線の正丸駅を降りるとあたりは高校生たちが200名ほども。これを見た瞬間、すわ「マラソン大会の再来か」と気が引き締まりましたが、彼らはハイキングにいくそうで別ルートでした。
天気もよく、絶好のハイキング日和ですが、われわれ太っちょはこれから地獄が始まるのだと緊張のある表情でした。

正丸駅の脇をぬける階段を下りていくとそこからが伊豆ケ岳ルートです。

◆ 正丸峠

あるいて30分ほどはゆるやかな坂、舗装道、まばらな人家もあるなかを徐々に登っていくのですが、山道になり、つづれ折になると少しずつ坂は急になっていく。
そんな中、我々よりもはるかに年配の男性ハイカーが「こんにちは」と声をかけて追い抜いていくのがたびたびありました。みなさん元気で足腰も丈夫、かくありたいものです。
しかし自分はというとはやくも汗がとまらず、息も深くなってきました。この小さな集落から正丸峠まではあるく距離にしてはそう長くないのですが、すこしずつ山っぽくなってきました。
とはいえ道は前回のようにぬかるんでもおらず、疲れはしてもなんとかというあたりで、正丸峠に到着しました。
デブ勢では僕と中村部長がやや疲れがありましたが、登山部でハードワークをしているメンバーはまだ汗もみせずで話ながら登山を楽しんでいて、根本的な体力がぜんぜん違う。

正丸峠は眺望はあまりよくないのですがそれでも風は涼やかで、最初の休憩で小休止です。
この段階で千葉から駆けつけてきた清水さんが追いついて、メンバーが全員揃いました。

◆ 鬼の鎖場・男坂

小休止を終えて伊豆ケ岳頂上を目指すのですが、急に登ったかと思えばガッツリ降りたりの繰り返し、さらには岩場があったりと、道こそ整備されているものの万人が登る高尾山とは大違いでなかなかに厳しい。
そこを話しながらスイスイ登る藤川姉妹・秋山さん・清水さんの新たに加わったメンバーたち。こちらは息も絶え絶えでゴキブリみたいに岩にはりついたりしてるのに・・・。

そして今回のクライマックス・男坂。
ここは分岐していて安全な巻道・女坂と、自己責任で登る男坂があります。男坂で検索すると二次候補が「滑落」で出ますが、気にしないで下さい。
斜度がキツーい岩が連なる壁に、鎖が何本かぶら下がっていて、そこを三点確保で登っていくのですが、長さが50メートル!
ビルでいうと15階建てくらいですかね。そこを命綱などの安全が確保されてない状況を、自己責任で登っていくわけですよ。正気でしょうか。

だいたいそんな訓練とかレクチャーを受けずに、「さあいくか」だけで行けるものなのか行っていいものなのか甚だ疑問ではありますが、やるしかありません。
この写真を見てください。あきらかになにか大事なことが振い落されている気がします。

このガケを登っていくわけですよ。足をちょっと滑らせたら一巻の終りです。これはそういう戦いなのです。下には様子見でほかのメンバーがいますが、僕が足をツルっと滑らせると、それは落石よりもはるかに大きな100キロの塊が転がっていくわけですから、そんなん受け止められるわけがありません。
こういうのはもっと五体の軽量化に成功した人がやればいい話、そもそも100キロの体重を両手で支えられるのかが疑問の太っちょが命まで賭けてやることではないのでは・・・と、写真を見れば見るほど思わざるを得ません。

半分くらい登った時にふと後のメンバーたちの様子をみようと振り返ると、そこは地上数百メートルの埼玉のまちまで全面パノラマで見えたんですね。
改めて自分がふと数秒気を緩めたら死ぬキワキワにいるなとビビってしまい、そこからは三点確保もクソもなく、軍手についたゴムの滑り止め効果を信じて一気にエイヤっと登ってしまいました。
ここを登ろうという初心者の方は、必ずゴム付軍手を持参すること、また雨の日は避けることを全力でお勧めします。うっかりしてると死にます。
そんな岩場を辻中さんがひょいひょいと鎖も掴まずに身体を乗り出してたり片足で立っていますが、もう見てるのが怖くてダメでした。狂気の沙汰です。
辻中さんと竹下さんと清水さんは一回では物足りず、この鎖場を降りてまた登ってきたそうですが、とてもそんな勇気はありません。

死ぬ思いで登ってまだまだ岩場が続きますが、なんとか頂上に着きました。疲れはほどほどですが、恐怖心はなかなか抜けません。

◆ 豚モツが匂う食卓

頂上に着くまでに中村部長が体調不良でややグロッキーに。いつも陽気な中村さんが吐き気を催してグッタリしてしまいました。というわけで料理長だった中村さんにかわり藤川姉妹が昼食をつくります。

登山の昼食というとちっちゃなバーナーとコッヘルでインスタントラーメンとかおにぎりですが、我々は大きなガスコンロ、26センチのフライパンを持ち込み、これからモツ炒めを作るのです。
リュックから出てくるのは牛モツ、豚モツ、タマネギ、ニラ、コチュジャン・・・。

いや、待て待て待て待て。山でしょ? トイレないでしょ? めっさ消化悪そうなものばっかりなんですけれど!

「国産がなくて10店舗まわった」
「どこをさがしても国産の牛ホルモンはないですねー」

などと牛ホルモン(小腸/シマ腸)の調達の苦労談を語る辻中さんと中村さん。牛ホルモンの都内の調達先に関しては一家言あるので、福岡出身者・大阪出身者などなんで都内は生ホルモン売ってないんだよ!とお怒りの方は、いずれ「岩井の本棚」に番外編として都内の生ホルモン事情に関してまとめる予定ですので、よろしければこちらをどうぞ。デブの本懐ですな。

最初に牛ホルモンを炒めるも水分が多く炒め煮のようになってしまったが、みな「うまい、うまい」と食べるメンバー。
しかし第二段を作ろうと生の豚モツの袋をあけたら、そこには豚ホルモン特有のあの臭みがさわやかな山頂の繁み一帯に漂うことになるのでした。・・・ケモノ臭い!

まあ豚モツですからね、それも生。そりゃ匂います。山頂にはコーヒー豆くらいのたくましいハエがどこからともなく群がり始め、山頂ではついぞ嗅ぐことがないだろう異臭によろこんでいるのでした。たぶんここらのハエ、豚モツの匂い嗅ぐの初めてだと思うよ。

しかしそれすらも我々の食欲を失わせることはなく、みなでペロリと平らげるのでした。いや、だって旨いんですもん生の牛ホルモンのあまーい脂が。コチュジャンの辛さに絡んで飯にあうんですなあ。

だが「この余った汁をどう処理するか」で揉め、山を汚すわけにもいかないのでペットボトルに余った臭い汁を入れて帰ることになりました。もしうっかりジュースと間違えて飲んでたらえらいことになったハズです。

◆ 足がつる

ところで僕ですが、食事前に足に違和感があり、突如腱が吊ったようになり身動きが取れなくなりました。登山では足が吊るのはよくあることらしいですが、前回は無事だったので油断してた。ちょう痛い! なんかヘンな体勢でうめいているところを面白がって写真撮るガリ勢。いや、みんなアハアハ笑ってるけれどこっちはホントふくらはぎが吊りまくってるんです!
この足が吊るのには今後も何度も苦しめられました。

◆ 地獄の後半戦始まる

さてここからは縦走をしつつ、高畑山・天目指峠を通り、子ノ権現を目指すというルートですが・・・。
じつは前半戦、キツいはキツかったのですが、水を多量に飲むこともなく、前回のように膝やモモやつま先が痛むこともなく、鎖場で怖い思いこそしたものの、身体はまだ軽かったんです。
前回は景信山山頂に到達時点ですっかりグロッキーでしたから、前よりは幾分余裕もあり、これは前回みたいな無様をさらすこともなくなんとかいけるかも・・・と多少考えてたんですよね。
それがすべての間違いだと知るのは、ほんの1時間後です。

天目指峠までは平坦な道があまりなく、登る、降りるの繰り返し。それも登山道じたいは整備されていても、急登する箇所は複雑な木の根の間に右左と足をこねいれていくような、常に次にどの足をどこにを考えながら登っていかねばならない。
岩も多くてで、これはかなり厳しいな・・・と思ってるうちに、どんどん疲弊していく自分。自分のペースにあわせていくと全滅しそうなので、デブ勢の中で元気だった岩田さんと、ほかガリ勢が早めに行ってふもとの茶屋でうどんを食うぞとチームが分かれました。
こちらは辻中副社長がリーダーで、自分、体調が復調していない中村部長、そしてだれよりも元気で若い小山さんの4人のチームです。

◆ 足はつる、先は見えない

伊豆ケ岳頂上から子の権現、ふもとの浅見茶屋まではほかの人のレポートを読んでもだいたい2時間弱で踏破していますが、われわれはその2時間の道を実に4時間もかけてしまいました。
というのも天目指峠から子の権現までの間に、すっかり息がアガってしまいゼーゼーいいながら坂を登り、それも途中に休まないと登ることが出来ないほどに自分の心臓がブレーキをかけてきたからです。
登山で登りは誰しもがキツいので、息を切らさないようにゆっくりと歩く、しかしゆっくりとでも止まらないのが鉄則なのですが、もはやそんな鉄則は守れないほどに心臓がバクンバクンといってくるのです。

前回のように折返しでの登山ではないので、この先の道がどれほどキツいのか楽なのかの予測がつかず、急坂が現れては悲嘆が訪れます。

正直言って子の権現までの数キロは

「もうみんな先いってくれないかな」
「30分休んでいい?とかいえないよなこの状況で」
「この稜線越えたらずっと平坦な道だったらいいのにな」

とか弱音しか出てきませんでした。

そうこうしているうちに僕の右太ももが2度3度と痙攣して釣り、その度にマグネシウムを飲んで休みをとるハメに。

◆ そしてなくなった水分

急坂でグロッキーする自分を励ましなんとか歩かせるために辻中副社長が

「岩井のペースにあわせるか」
「足を地面になるべくつける。ゆっくりと小幅に歩いて、オレの足跡を踏むようにして登ろう」
「とぼとぼ作戦でいこう」

と、膝を痛めないように、足がつらないように歩幅を小さくしてゆっくりゆっくりと歩く作戦にしました。しかしこれが実に陰気な作戦なのでした。

かくして中年男たちが一言も発せず、わずか3メートルの道に4人も入り、一歩一歩ゆっくりと山道を登るチームになりました。実に暗い。八甲田山死の行軍はこんな感じだったのではと思わせます。

自分の疲弊もともかく、他のメンバーも水分をさかんに摂取しながらの行軍していたため、子の権現までの地獄道でみなの水分がゼロになりつつありました。4人全員の水足しても600ミリ程度しか残ってなかったと思います。
辻中さんが「オレあと水50ミリリットルしかねえな」とポツンといった時に、絶望が見えてきました。
普段十六茶が555mlでも「普通のペットに比べてそんな多いかって感じですよね〜」と傲慢に云っていた大食漢の私ですが、このときばかりは50ミリもバカに出来んぞと涙ぐんでくる始末です。

なお登山にもっていくべき水の目安はICI石井スポーツさんのサイトによると

行動時間×体重×5ml

だそう。これは山中行動における脱水分と同じ。
僕は今回甘く見て2リットルしかもってなかったのですが、これに当てはめると最低でも3リットル必要だった。脱水気味になってくるとよけい足が釣りやすくなるそうです。

◆ 放屁の危機

こうやって皆が運命共同体になり、つらさをわけあうトボトボ作戦下でも、ついぞ打ち明けられない身体の不調が私を襲っていました。
もともと私は大変消化のよい腸をもっているせいか、食べたらすぐに便が排出される胃腸関係システムを組み込んでいるようです。

前回登山昼食では激辛カレーを食べるぞときいて
「これは絶対に野外で排便することになるな」
「ヘタしたらウンコもらすかもしれんぞ」
と危惧し、ズボンもパンツもみんな替えを持っていったのは秘密です。

今回もそれなのに、どう甘めにみてもガスと便がすぐ出そうなモツ・ニラ・タマネギ・そして味付けはコチュジャンと、ホントTPOもっと考えてほしいよと思うほかない昼食。案の定危惧していたとおり、私の腸には黒タマゴをつくる大涌谷の湯気のような勢いでガスがたまっていくのでした。腹がパンパンです。

そしてそんなときにもかかわらずトボトボ作戦で3メートルに4人の男が入り込むスタイル。一歩大きく踏み出した瞬間にブーと屁が漏れることがあってはならん。何しろ自分の尻の50センチ真後ろにはすぐ中村部長の顔があるのです。

いくら無礼講、自分の弱さをさらけ出してこそ登山ですといっても、果たして年長の上役に屁をかける所業は許されるものでしょうか。それはいくらなんでもあまりにあんまり。そんなことはできません。弱さはさらけ出しても結構ですが、屁が弱さだという説も聞いたことがありません。
だいいちトボトボ作戦で皆必要以上に寂としてて、表情も暗澹。しかも自分のせいでこのチーム著しく遅れてる。とても屁をこける環境ではありません。

屁をガマンして登る、足がつる、水がない・・・悪循環ここに極まれりです。
腿はビキビキ、息は絶え絶え、汗はだくだく、腹はパンパンと、痛むところは全部痛んで出すものは全部出るみたいな有様になりました。
登山ならともかくこれが北十条やら綾瀬あたりでこんな中年がいたら誰も近づいてはこないでしょう。

◆ 子の権現到着、そしてゴールへ

しかしここで先に行ったメンバーに携帯で訊くと子の権現には自販機があるとのこと。なんとか水分補給できる! これでみなに活気が戻りました。
つらいつらい子の権現までの道もなんとか終り、子の権現で200円の山小屋価格のペットボトルをゲット。なあに、200円どころか500円でも買いますとも。

だがまだ道は終わりではなく、先行しているガリ勢に追いつかなくてはなりません。皆はもう1時間半も前に浅見茶屋に着いているのです。

あとはひたすら降りる道ですが、ここで小山さんに先行してもらって距離をすこし空けて歩いている間に腹にたまった屁をバンバン放出していたとは、たぶんほかの3人も知りません。「岩井下山道なのにやたら遅せえな、よっぽどなんだな」と感じてたことでしょう。

浅見茶屋ではすでに営業を終えみながうどんを食べた後。小休止し、ここからさらに3キロほど吾野駅まで歩くのですが、もう舗装道なので登山道に比べたらよほどです。
秩父らしいセメント工場やきれいな水面の川を横目に、18時半ごろに吾野駅に到着。ちなみにふつうにトレイルしていたら9時に正丸駅を出ていたら、茶屋に寄って17時くらいにつく感じだと思います。

この時点で僕に残された体力は「平坦な道を歩いて帰る」だけでした。ほかのメンバーは秩父の温泉にいったのですが、僕はそれをパスして帰ってバタンキューでした。

この日、登山終了から家に帰って寝るまでに3リットルの水分をとったんですが、小便として排出されたのはごくわずか。つまりそれだけ脱水してたんですね。

あとこれは登山と関係あるのか分からないですが、翌3日くらいは顔の表面からやたらとサラサラした脂が出てきました。
推察するに汗を尋常じゃなくかいたせいで顔表面の毛穴から老廃物が全部出てしまい、皮膚表面から皮脂分が失せたために排出したのかもしれません。顔が妙にツヤツヤになっていました。
まあ40のオッサンの顔がツヤツヤになってなにが喜ばしいのかと問われても困りますが・・・。

筋肉痛で痛む身体とともに、空になったエネルギーがまた充填されていくのを実感するのも、登山後の残った楽しみのような気もします。

◆ 締め

そんなキツくてつらい登山に何故行くのかと第1回の時は思ったのですが、今回なんとなく自分なりに登山の良さがわかっても来ました。

ある程度の中年、それも肥満体になってくると、自分で出来ないこと向いてないことはもう、やらなくて良くなります。たとえばそれは僕にとってはスポーツ全般ですね。休みの日に大きく体力を失うようなことはしなくなると。

それと、ある程度の中年、それもデブっちょうになってくると、仕事で体力を8割まで削られることもなくなってきます。精神的な疲労こそあってもね。

そうなってくると一年通じて、自分の体力の底の底までを絞りつくしてギリッギリまで追い込んで、スッカラカンまでバイタルを失う機会ってないんですよ。

でも最後の数滴を残すほどに体力を使い果たすというのは、これはまた一種の快感でもあるんですよね。もうなにもできないなというところまで疲労するということが。
辻中さんが体力の余裕がまったくなくなるほど疲弊し自己を追い込むことの良さをいうのを歩きながらしていましたが、それがなんとなく分かってきました。

思うに自分の旅行趣味であるローカル線めぐりも、自分の持っている時間と体力を最大限に浪費していく楽しみがあるから、根の部分ではつながっているかもしれません。あれも、やっている最中は精神的疲労はほとんどありません。

あと中年になった今こそ、掛値なしの自分のほんとうの身体の能力。若いときの経験から来る過信を巻き込まずに実数値を知るという意味でも、やる価値のある疲労経験だと思いますね。
もちろん、登山後には失われた水分と体力を回復すべく飲酒&温泉にいく楽しみもまたアリってことで!

[レポート:岩井]

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