健康診断で毎年「再検診」の烙印を押されるまんだらけメタボ社員を中心に結成された「ライト登山部」通称【デブ登山部】。
健全な精神を培うべく日本各地の名峰に挑戦するまんだらけ登山部とはコンセプトや目標もまったく異なる「山道の違和感」。
「ダイエットのため山に登るのではない!」
「使ったカロリーは山頂で取り戻す!」
素直に負けを認めない富士山級のプライドと合言葉を胸に不定期で活動中。

2015年12月11日(金)登山部 第九回活動報告【強制徴収】健康診断の結果が悪い従業員によるデブ登山部レポート【膝がガクガク】

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かつてはまんだらけでも慰労会などいわゆる「会社の飲み会」があったのですが、ただ漫然と集まって飲むよりも、自分たちの知恵を絞って楽しめるようにしようという試みのもと、いろいろな催しが社員主体で行われています。
そのひとつがキャンプ、もうひとつが部活。
キャンプは一人頭いくらの予算を会社が出すので、その中で1泊2日を楽しめるように工夫するというもの。それらのレポートは弊社HPの「オタクキャンプへいく」に詳しいです。僕も青春18切符を使って東京-神奈川-静岡-名古屋-岐阜-富山-新潟-長野-山梨の9県をまわってくる絶望の鉄道旅行をしました。

もうひとつの部活動も会社の同志を募って何かをする部活動。これらでもっとも活発なのが登山部で、一泊せず日帰りでヒーハーヒーハーと山に上ってくるというマゾ的な集まりです。
もともと我々おたく層というのは本来であれば運動などもってのほかで、体育会系との相性はよくないはずですが、おおくのアルバイトさんが入社後「考えていたのとは違う体育会系的なノリだった」という感想を残すように、外に中にと活動するおたくが多いのがわが社のスタッフの特徴です。

しかしその登山部も取締役が数名同行し、また幹部社員も何名も同行するという。未経験者や若手にはおいそれと参加できない雰囲気というか、社の飲み会がお偉いさんが大量にいて気つかうから苦手だと思う若手が多い中、部活動でもやっぱりお偉方ばっかでは参加しづらいよねという空気がヒヤーッと漂っていたりしもしました。
そういう空気を知ってか知らずか登山部はメンバーが固定化して活動内容はどんどん先鋭化していき、先鋭化すると同時にマゾ度も高く、感想を求めると「どしゃぶりにあって散々だった」「真っ暗になって散々だった」といいつつも嬉々としている、みたいな「これは行くところまで行っちゃう活動だな」という「散々だった」=満足度が高い、みたいな雰囲気になりつつありました。

よって私のような「一日で広島まで移動するが、にもかかわらずその日の歩行距離は2キロ未満」というような極端な不健康旅行をするようなでぶっちょには登山部は無縁の団体だったのです。
しかし・・・産業医の先生からの「運動しなさい」との圧力にもまったくめげず、毎年のように新規痛風発症者を増やしていったり、メタボ的数値がまったく改善されない、一部のHbA1Cや尿酸値がダメなスタッフたちに、15年春ごろだろうか、登山部に社長より指令が下ったと聞きます。

「やつらを登山につれていけ!」

上層部のこういった意思を私が知ったのは弊社HP「オタク山へ登る」という登山部の記録報の第7回報告のシメに、こんな不穏な表現が記載されていたからでした。

「健康診断の結果が悪い従業員はライト登山部に特別徴収される可能性あります!」
「覚悟を!」

これを読んだときに「来るべきものが来た・・・」と戦慄したものでした。自主活動なはずの部活動なのに強制徴収とは何事か・・・
ねっ転がってチップスターを食べながらPCを見てすごす我々デブにはこれは60年代のアメリカにおいての「ベトナムに行け」くらいの衝撃を持ってこれらの声が届きましたが、もちろん聞こえないふりをしてすごすのでした。デブにとって「運動せよ」という単語は「階段を1階分あるくか」くらいのニュアンスでしかありません。
しかし取締役たちは酒席の場で登山のすばらしさを説いたりと執拗な折伏を続け、聞いている私もうっかり

「(僕は行く気はしないけれど)登山もけっこう面白そうだよね」

と発言したのをきっかけに「言ったな!言質を取ったからな」とばかりに「OKサイン」と捉えられ、あわれ幾人かの数値の悪い男たちはベトナム、もとい高尾山へと連れて行かれることになったのでした。山なんて登るのは小学校の五頭山以来です。これは大変なことになったと思ったものです。










それでも副社長が日程を悩んでいるうちに冬になったので「これはあの話は立ち消えになったな」とほくそえんでいたものの、社長からは「いつ行くんだ!」と矢の催促がきていたようで、行き先は高尾山、12月11日に日取りが決定しました。
副社長のエスコートで新宿のモンベルに行き靴や服を買い、いや、高尾山だよね、ハイキングと大差ないレベルじゃないの・・・?と不安になりながらもその日を迎えました。

そもそも用具買いに行ったらほとんどの装身具が「XL以上はナイネ」といわれ、パツパツのシャツを着て登山するハメになったのですが、これについては後に出てくる無様な写真で「身の丈にあったサイズを選らばないと、どえらい写真が記録として残されて恥かくな」というよい実証になりましたので、そちらをご覧下さい。

またうっかり前夜に「神々の山嶺」を読んでしまい、「水分は摂りすぎるということはない」だの「自分のことは自分でやるのが山屋だ」という単語が頭をよぎる前日でした。高尾山に行くのに、エベレスト北壁無酸素登攀を目指す本を読んでしまうのがマンガ屋なのです。

11日朝はどしゃぶり。電車が雨で遅れるような気候だが、雨天決行だという。高尾山口駅に着いたら川が濁流になっててドドドドと渦巻いている。これは本気でまずいやつじゃない?と思ったが、みるみる雨が上がり天気が良くなってきたのでした。雨で中止になればいいのにと思っていたのは内緒です。

高尾山口に集まったのは、竹下店長、小山さんが登山部の先導役。辻中副社長、中村さん、岩田さん、奥主さん、そして自分岩井がデブ組です。
そのためか社内では「健康診断の結果が悪い従業員による登山会」がいつのまにか「デブ登山部」に略され、さらには「デブ部」とさらに略される有様でした。
体重ですか。辻中さんが82キロ、岩田さんが90キロ、奥主さんが82キロ、中村さんが90キロ、自分が98キロです。ぼくら7人が山で「ハイ、チーズ」とかいって一箇所にまとまって写真撮ったら、そのとき150センチ四方に600キロくらいの加重がかかっているわけで、家だったら床が抜けます。改めて山は偉大だと思う次第です。
この中で今までまったく運動部会の経験がなく、かつ体重が3桁に乗ったことがあるのは自分だけです。
以前だれかに冗談で、背が高くてガリガリの社員と自分を足して2で割ったらちょうどいい、と笑われたことがありましたが、よくよく考えてみたら2で割ってもまだ二人とも小デブ的体重で、割ったらかえって食費など採算が悪くなることに気がつきました。

具体的に言うと、この日の行程は高尾山口から高尾山頂、そこから城山山頂、景信山山頂と縦走していく。往復で14キロを歩く予定です。とはいえ1000メートルに満たない低山で、ガレ場などもほとんどなく、かつ初心者むけのルートだよと事前に言われていたものの・・・
高尾山ロープウェーは急勾配で、これは距離的にはきつくはないものの、我々重量のあるメンバーには膝、腰、足首がつらいことになりそうだなと早くも不安感でいっぱいです。
しかし最初はみな軽口を叩いたり、写真を撮ったり笑ったりしながらあれよあれよと高尾山山頂に到着。
この日の高尾山は朝のどしゃぶりのせいか、ほとんどハイカーがおらず、高尾山から先に向かう人はまったくといっていいほどいません。この時点では舗装路も多く、階段も整備されており、ぬかるみもなくでさほどの苦痛はありません。

が、高尾山頂から城山に向かう道は濡れた落ち葉、雨水だまりで泥濘化した道が徐々に増え、道も坂道が多く、みんなには言いませんでしたがすっかり脚が痛くなり、「もう帰りてえな」と弱音が出そうになるほど。
デブになって実感するのは膝と股関節に痛みが来るということですね。体力がそもそもそんなにないのに、上半身の重みは人一倍あるわけなので、下半身への負担がひどいわけです。
おなじデブ組でも過去に運動経験のあるほかのメンバーは会話をしながらずっと先頭を歩いていて、あっというまにビリになってしまう自分。
この日は「12月なのに20度」といわれたくらいのおかしな天気で、みな熱くて上着を脱いで半そでで登山、しかも風もびゅんびゅん吹いています。汗はだくだく。

これは本当に踏破できるかどうかわからんぞ、と怖気づいていた自分に対しての辻中さんの励ましの言葉がまた奮っていて
「心拍数が上がらないように調整しろ。息が切れないように、自分のペースでゆっくりとゆっくりと歩く」
ハアハアいわないように動く、と。ここまではなるほど!と思ったのですが、
「心拍数さえ上がらなければ一切疲れないから無限に歩ける」
いや、それはないない! ないないないない!! と即断言できます。サッサコサッサコ無限に歩くデブというのは存在しません!

城山に向かうには降りたり登ったりの繰り返しですが、登るときに小股で登っていて膝が痛くなってきたのとともに、降りるときには足指が圧迫されてここも痛くなってきた。登るときは大股に、降りるときは小股にと奥主さんからレクチャーを受けて、ハアハアいいながらもなんとか城山到着。自分ほどではないもののほかのデブ勢もすっかり疲弊しており、やっと年齢相応の不元気不健康な表情になってきてます。
城山山頂にはネコがおり、山茶屋も営業してないのにネコだけはいる。このネコはどうやってえさを得てるのかなと考えるヒマもなく、すぐに景信山へ向かいます。
このひとときの休みのあいだも、膝はギンギンに痛くふとももは膝の高さ以上に上がらず「これはもうだめかもしれないぞ」と20回くらい目くらいに思ったりしました。
我々は靴を買いに行く際「靴だけはちゃんとしたもの買え。なぜか。おまえらが捻挫したら、俺らではおぶっていけないからな」と悲壮なる脅しをされたものですが、なるほどその意味がわかりました。こんなところで100キロの男が捻挫したら、目も当てられない。いい靴は必須です。

さて城山から景信山へは、いよいよ道もぬかるみ、坂も急激な箇所がありで「はやく頂上に着きたい!」の一心でした。上半身はともかく、もう脚があがらないというか、限界です。
最後の最後で急坂があり、ついについたのは13時すぎ。もうヤダ、山道死ね死ねの怨嗟の声の中、なんとか到着したのです。
ペース的にはビリでしたが、なぜか辻中さんと小山さんが道に迷い、自分たちよりも遅く登ってきました。

山頂には誰もおらず、我々はここで一休みして昼餉をたのしむことに。
デリーのカシミールカレーのレトルトに、山形牛のA5モモとジャガイモを加えて煮込むというもの。デリーのカシミールカレーは辛いが疲れて体力を消耗した体にしみこみ、環境と疲労体験含めて今までで食べたカレーでもベスト5位に入るものとなりました。
それにしても辻中さんのテンションがあがりすぎ、おまえらここ写真撮れ!といったものを後々になって見返したところ、ジャガイモの写真とか鍋を牛脂で炒りつける写真とか、肉をカットする写真とかの「必要あるかな」という写真ばかりが残っており、自分でもあのときの狂騒感はなんだったのかと感じざるをえません。すくなくとも4000万画素とかで記録する必要はないものです。

山頂からははるか遠くにスカイツリーが見え、逆を見れば富士山が見えるという絶妙の立地。またもあらわれたネコに別れを告げ帰路に。この時点で辻中さんと小山さんのルート間違いもあり、やや遅れての帰路。

そしてこの復路が、ああ、往路はまだマシだったんだなと。
疲労の限界が近づきつつある膝も、景信山〜城山まではなんとか耐えられたものの、城山から高尾山頂までがかなりの痛さに。下りはラクだなどということはまったくなく、降りればつま先が痛く、登ればヒザが痛いと、楽なのは平坦な道のみ。何度かの一ステップが30センチを越える段差が延々と続くあたりでは「一時間くらい休んでからじっくり登りたいな」と思うほどですが、おそらく、一度休んだらヒザの痛みが増すだけ。ここで惨めだろうとなんだろうと足を動かし続けるほかないのです。
それでも往路でなんとなく歩き方のコツを掴んだせいか、疲労はあれど動きは止まらず歩けました。僕の後ろを奥主さんと小山さんがスピードをあわせてくれたのが助かりました。

途中奥主さんの年季の入った登山靴の底が抜けたり、中村さんのモモが痙攣したりといったトラブルはあれど、高尾山頂につき、そこから高尾山ロープウエーまでは駆け足気味で急ぎました。もう周囲は日も落ちて真っ暗。そして何しろ高尾山ロープウエーは終電が17:15分なので、これを逃すと大変なことになる。わっせわっせと急いで、ギリギリ17時5分にロープウエー乗り場に到着です。

登山後は高尾山口の温泉施設でゆっくりと湯につかりましたが、この時点で膝はガクガク。2階へのぼる階段がきついのでエレベータ使ったりするありさま。 しかし食いしんぼうの我々は八王子で鰯煮干ラーメンの都内ナンバーワンの店に行き大盛をたいらげて解散、と、なんやかやと忙しい一日も終りました。
個人的には、山に登るたのしさもわかり、そのつらさと健康がいかに大事か、標準体重よりもこれだけ重いことのデメリットが分かり身にしみる一日ではありましたが、
・この日は登山客皆無だったので、よくあるハイカー渋滞もなく、自分の歩みが遅くとも自チーム以外に迷惑をかけずにすんだ
・汗はかいたが冬なので、暑くていやになることもなかった
のがよかった。もちろん、翌日は筋肉痛というか、膝痛が酷かったでしたが。


ただここで油断してはいけないのは、デブというのは「今日だけで1年分くらい運動したな」「10キロは汗でたな」などと勝手に思い込む特性があるということです。
どんなにそのときにたのしくともまた苦難はやってくるもの。もし次のデブ登山部があったとしたら、夏だけは避けたいと思う今日この頃です。

[レポート:岩井]

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