宇宙全史

2017/10/3 No.3474

虚空蔵55様、みわ様、五井先生、月読の大神、いつもありがとうございます。

 エゴが見苦しいというか美しくないというか病的であるということが、腑に落ちました。陰始の消えたいが、単なる欲望に過ぎないのも。



宇宙全史1 P425から
『「とりあえず外界から無防備なままでは自分というものを守れないよ」というテーマで作られたもので』とかかれていますが、
「エゴ」=「欲望」=「自分を守りたい」
という理解で正しいでしょうか?

 この個別性を感じるプログラムは、いつ組み込まれたのでしょうか?3億8542万年前のa-1、e-1が作られたとき?因果律の整備がされたとき?それても、最初の宇宙?

 エゴのお陰で、エネルギーの少ないクズ(我々)でもこの宇宙で生きていけるのではないかと。

 それではよろしくお願いします。

2017・10・3
「エゴ」=「欲望」=「自分を守りたい」という理解で正しいでしょうか

●エゴにも段階がありまして「自分を守りたい」というエゴはベーシックなエゴで、生き物の土台をつかさどるエゴになります。
ですからエゴ=「自分を守りたい」ではありません(その一部ではありますが)。


「この個別性を感じるプログラムは、いつ組み込まれたのでしょうか」

●「個」が生じた時、つまりこの宇宙が出来た時になります。
地上的にはあなたのいうようにa-1、e-1の時代ですが、個のカルマは宇宙の初めから存在しています。


「エゴのお陰で、エネルギーの少ないクズ(我々)でもこの宇宙で生きていけるのではないかと」

●その通りで、どぶ水の中で生きるにはどぶ水に慣れなければ生きていけません。

しかしそれをどぶ水だと看破した時、最早私たちはどぶ水の中で生きていく事は出来なくなるのです

されど誰が

美食を

美形を

100兆円の大金を

世界中の称賛を

愛しの家族や友達を

どぶ水と見ることが出来るでしょうか?

それが出来た時あなたは宇宙全史の大学に入学します
(もちろんそこまで出来なくてもいいのです・すべてを受け入れ、好きな事を楽しく健やかに高校課程を受け入れ生きていくのもありです・それが20年後からの世界です)



虚空蔵55

コロ

2017/10/3 No.3473

虚空蔵55様 みわ様
ご回答いただきありがとうございました。

人のことばかりを考えている訳ではないのですが、「自分がどうしたい」のかは、二の次のようでした。
「決断」に関しては、昔から苦手で、周囲に委ねてしまう事も多かったです。エネルギー不足も自覚しており、ただただ言葉もありません。
想いの残存に、何重にも覆われていて、重くなっていたように感じます。こうして、ここに質問する事ができ、又、回答をいただけて、とても楽になりました。
お忙しい中、ありがとうございました。

「決断」を「宝」と捉える事は出来ませんでした。

振り返りますと、過去に迷いなく、スッと「決断」出来た事もあったと記憶しています。その時は、自分自身のエネルギーも多く、覚悟もあったのかもしれませんが、余分な事を考えていなかったので、取り巻いている業想念は薄かったように思います。とすると、お祈りをして業想念を薄くする事は、大きな光なのだと思いました。

自分自身を信じ「私の決断」が「私の宝」となれるように、焦らず励みます。

繋がってくださり、ありがとうございました。

2017・10・1

2017/10/2 No.3472

虚空蔵55様、みわ様、五井先生、月読の大神、回答ありがとうございます。

 以前、「エゴを消す」というテーマでヒーリングを続けたことがありまして、腕でチェックしたところ何故かエゴの力が増大してしたことがわかり、そのアファメーションはしないほうがいいという結論になりました。なかなか稀有な発見でした。



 「消えたい」というエゴは、成就することが可能なのでしょうか?達成した存在がいるのでしょうか?

 病的でない一般的なエゴの性質として十二分に経験すると消えますよね。例えば、食べたいなら満腹になれば消えるし、結婚したいなら相手と結ばれれば消えます。

 そんな中で取り立てて異色な「消えたい」は願えば願うほど消えない(=エゴが増す)という矛盾しているというかパラドックス的というか、強烈な振幅を生むのではないかと。それは、宇宙や人類がエゴを満足して収束しないための仕掛け?

 それではよろしくお願いします。

2017・10・1
海様

「 病的でない一般的なエゴの性質として十二分に経験すると消えますよね」

●質問の前提が間違っています。

まずエゴというのはその強弱はあるもののすべて病的なものです。

それを「普通」と認識してしまっているのは、生まれた時からどぶの中にいてどぶ水を普通と感じているようなものです。

もう一つ、満腹になって消えるのは一時の食欲です。
また結婚して消えるのはも一時の自己満足に過ぎません。
(この辺りが分からないと宇宙全史における大学に入学はもちろん卒業も出来ません)

つまり地上の足かせを当たり前と感じている限りエゴの罠からは外れません。


陰始の「消えたい」は欲望にすぎません。

覚者になるものの「消えたい」は、

「エゴ」=「欲望」

その欲望を消したいという願いなのです。

もちろんその「願いも」薄くはありますが一種の欲望ですが、完全覚醒の最後の最後にはその「覚醒願望」「エゴ脱却」の希望も消滅します。

陰始はどこまでもエゴにこだわり、エゴの欲望を希求するのです

それゆえ救いのないパラドクスにはまり込んでしまいます



虚空蔵55
(この質問では宇宙の本質に迫ることは出来ません)


コロ

2017/10/2 No.3471

虚空蔵55様 みわ様
ご回答いただきありがとうございました。

人のことばかりを考えている訳ではないのですが、「自分がどうしたい」のかは、二の次のようでした。
「決断」に関しては、昔から苦手で、周囲に委ねてしまう事も多かったです。エネルギー不足も自覚しており、ただただ言葉もありません。
想いの残存に、何重にも覆われていて、重くなっていたように感じます。こうして、ここに質問する事ができ、又、回答をいただけて、とても楽になりました。
お忙しい中、ありがとうございました。

「決断」を「宝」と捉える事は出来ませんでした。

振り返りますと、過去に迷いなく、スッと「決断」出来た事もあったと記憶しています。その時は、自分自身のエネルギーも多く、覚悟もあったのかもしれませんが、余分な事を考えていなかったので、取り巻いている業想念は薄かったように思います。とすると、お祈りをして業想念を薄くする事は、大きな光なのだと思いました。

自分自身を信じ「私の決断」が「私の宝」となれるように、焦らず励みます。

繋がってくださり、ありがとうございました。

2017・10・1

コロ

2017/10/1 No.3470

虚空蔵55様 みわ様 いつもありがとうございます。
久しぶりに投稿させていただきます。

場面の変化が速い中で、微細な選択が迫られていると感じています。私自身も、速い時間とゆっくりとした時間が同時にあるような、難しい場面にいる気がします。
実は、あまりまとまっていないので迷っていましたが、一つお聞きしたいことがありますので、質問させて下さい。

私はお祈りをすると、涙が流れる事があります。感情はその時により喜怒哀楽 様々です。自分自身は、溜まっていたストレスが無くなるのか(?) スッキリして軽くなります。
しかし『泣く』という事は『情』の中にいると自覚しており、これを超えたいと考えています。

以前、私は今『巻き込まれて解消することをしている』と教えていただきました。
表面上では、エゴの同情をしないように心掛けていますが、無意識というか、自分自身は覚えていませんが、何か『甘んじて、それを(巻き込まれる 想いをもらう事を) 受け入れている』のかと、感じる事があります。

今、私がいる立ち位置は、やらなければならない因にいるのか?同情して、やってあげているというエゴなのか?まったく関係ない、消えてゆく姿の途中で、気にし過ぎなのか?教えていただきたいです。

質問がまとまらず、わかりにくくて申し訳ありません。

私の周りで、「右か左か」「黒か白か」など、選択を求められる事があった時、仕事上では決めなくてはなりませんが、根本的に、表裏一体ではないですが、どちらも同じにしか見えないので、自分の立ち位置がわからなってしまう事があります。
まだまだ、勉強不足ですが、振り落とされないように、私が見ているもの、想っている事、全て消えてゆく姿とみて、お祈りしていきます。

この場に感謝します。
ありがとうございます。

2016・9・26
コロ様

常日頃からお祈りをしていますと次第にそういう疑問といいますか、迷いが薄くなっていきます。

そういう不動心(まではいかなくても、ゆるぎない心)が養えるまで修行と思い、お祈りで精進していくのです。

それは私とても同じです。

様々な宇宙の神秘、この宇宙を超えた真理をも日常会話のように教えてもらえる私ですが、日常の些細な決断すら教えて頂けません。

「決断」は「自由意志」としてあなたに与えられた「自由」であり、個の魂としての根底の「権利」なのです。
この無慈悲な宇宙の中で私たちは唯一指針となるもの、唯一自らの味方となるもの、唯一の宝としてそれを持っていることを自覚しているでしょうか。

それともそれを仏像にゆだね、政治家にゆだね、裁判官にゆだね、お金にゆだね、あらゆる他のものにゆだねてしまってはいないでしょうか


五井先生は私たちがそうならないように「祈り」を残してくださったのです



虚空蔵55

スーザン

2017/10/1 No.3469

虚空蔵55様、みわ様

いつも宇宙全史のワークで学ばせて頂きありがとうございます。私は今日も不甲斐ないながらも元気に学ばせて頂いております。

最近こちらで学ばせて頂く中で、本物である方々が遥か遠くまで物事を見通しておられるその目といいますか、或いはその対比として私自身の極端な視野の狭さが浮き彫りになるような気がしまして、いつまでも愚かなままではいけないなと感じました。

急いては事を仕損じるではないですが、余りに短絡的な思考の為に多々足を滑らせてきたような気がしております(ただ単に事象を間違って解釈しているだけかもしれませんが)。

何にしましても、まず祈りを忘れてはいけないということを肝に銘じましてまた日々仕事に邁進していきたいと思います。
仕事といいますと、以前 No.357でお教え頂いた転んでしまった二人目の救世主の方の状況に、私が特段優れた人間ではないという一点を除いてよく似た状況にあるということがやや気になってしまいました。

大方自意識過剰のなせる業と思いますが、おかしなことをせずに現在の仕事を乗り切りたいと思います。

あまり打っても響かない私ではございますが、こちらで学ばせて頂けるこの状況は、私のこれまでの流れからはほぼ絶対にあり得ない類稀なる機会を提供して頂いているのだといことを再確認してまた進んで行きたいと思います。

この度もどうもありがとうございました。

2017・9・19

2017/10/1 No.3468

虚空蔵55様、みわ様、五井先生、月読の大神、いつもありがとうございます。

 一つ質問です。


 陰始の「滅びたい」というのは、「エゴが死にたい=悟りたい」という思いの種なのでしょうか?

 エゴが死にきれずに半永遠に宇宙を彷徨う集合魂のイメージが見えました。

 それではよろしくお願いします。

2017・9・14
海様

「陰始の「滅びたい」というのは、「エゴが死にたい=悟りたい」という思いの種なのでしょうか」

●これは実に難しい命題です。

宇宙全体の構造に関わることになりますからこの場で軽率に論じることは危険な面が多々あるのですが、一定のレベルでお答えしておきます。

陰始の「消えたい」という思いは「消えたい」という欲望に縛られています。
しかし覚醒者の「消えたい」は地上のあらゆる欲望を手放すことでエゴの「消えたい」を叶えることになります。
(エゴは地上の欲望と密接につながっていますから、欲望(執着)を離脱することはエゴの消滅を意味します)

ところが陰始の「消えたい」はどこまでいっても「消えたい」というエゴの欲望に過ぎませんから、解放の方には向かなくて限りなくエゴに収束していくことになります



こんなところで如何でしょうか

これ以上はこれ以上の質問があればまたお答えします



虚空蔵55

スーザン

2017/9/24 No.3467

虚空蔵55様、みわ様

いつも宇宙全史のワークで学ばせて頂きありがとうございます。私は今日も不甲斐ないながらも元気に学ばせて頂いております。

最近こちらで学ばせて頂く中で、本物である方々が遥か遠くまで物事を見通しておられるその目といいますか、或いはその対比として私自身の極端な視野の狭さが浮き彫りになるような気がしまして、いつまでも愚かなままではいけないなと感じました。

急いては事を仕損じるではないですが、余りに短絡的な思考の為に多々足を滑らせてきたような気がしております(ただ単に事象を間違って解釈しているだけかもしれませんが)。

何にしましても、まず祈りを忘れてはいけないということを肝に銘じましてまた日々仕事に邁進していきたいと思います。
仕事といいますと、以前 No.357でお教え頂いた転んでしまった二人目の救世主の方の状況に、私が特段優れた人間ではないという一点を除いてよく似た状況にあるということがやや気になってしまいました。

大方自意識過剰のなせる業と思いますが、おかしなことをせずに現在の仕事を乗り切りたいと思います。

あまり打っても響かない私ではございますが、こちらで学ばせて頂けるこの状況は、私のこれまでの流れからはほぼ絶対にあり得ない類稀なる機会を提供して頂いているのだといことを再確認してまた進んで行きたいと思います。

この度もどうもありがとうございました。

2017・9・19

家田泰明

2017/9/24 No.3466

虚空蔵55様、みわ様、回答有難うございます。

結局の所、その魂の決断に任せたのですね。
その結果が、同志撃ちとは何ともやり切れないですね。私の守護霊様がやたらと慎重なのも理解できました。エゴは本当に困りものです。そこを見切る力が付くまでは私の守護霊様はチャクラを開いたりはしない様です。

有難うございました。

2017・9・14

RIE

2017/9/13 No.3465

虚空蔵55様 みさわま


こんばんは。お疲れさまです。


以前もそうでしたがNo.358の、この方の一連の投稿を観る度に、見えない領域に、慾でかかわることの危うさを感じ、また、私が過去に味わった「おぞましい」と思えた経験の「疼き」の記憶も蘇ってくるかのようでした。



私自身、宇宙や魂、霊、次元云々といった見えない領域の世界に、約30年も携わってきているので、このような霊にコントロールされている方を幾人も見てきました。



世の中には、有象無象のスピリチュアルや精神世界、新興宗教、なんちゃらセラピー、なんちゃらヒーリングなどの情報があふれかえっているようで、見える、聞こえる、守護霊や神と対話ができるという霊能力に憧れる人も多くいるようです。私は、自分の経験上から、縁ある方に伝えているのは、



それらを求めるのなら、同時に、人間の構造や、見えない世界の構造、次元のことから、人間以外にどういった見えないエネルギーがこの空間上に、ひしめいているのかという、見えない背景をきちんと理論的に学び、理解した時、それでもそういう領域に足を踏み込む覚悟があるならば、



徹底的にエゴを薄め慾を落とし、見極める力を培ってからにすることです、でないと、簡単に足をすくわれて、人生がおかしくなることも多いですよ、と。「見える、聞こえる」といった霊能者が=すごい人などと一切思わないこと、むしろ、どこと繋がっているのかを、まず先に見極めていくことです。と。



人生、何でも経験だとは思うのですが、先に「疼き」と書いたのは、私自身も若い頃は、そのような、危うい世界にどっぷり身を置いていたが故に言えることもあるといえます。



20代30代の頃は、興味の赴くまま、見えない世界をいろいろ探求していた時期で、霊能力がある友人知人も多くいました。私自身、多少なりとも、そのような感性もあったので、講座やコーチング、ボディワーク、セラピーの他のオプションとして簡単なリーディングやヒーリングも行ってもいました。



その縁のつながりで、以前の投稿にも書かせて頂いた「宇宙連合の巫女」として地球をアセンションさせる為に、神々の会合に、巫女として参加することになり、そこには、今まで以上に強烈な霊能者や、神と対話できる人、宇宙人と交信できる人、自称「どこぞの神」というような人に、何人も出会いました。



当時の宇宙連合は、地球のアセンションを成す為の神々の意に沿った働きを成せる人が巫女や審神者として集まり、神業するというのが目的でしたから、確かに、霊的な理屈やアセンション的な理屈を語らせると彼らは饒舌でしたし、異次元の人々と対話もでき、転生の記憶や、霊能力もあったのでしょう。そこに集まる人の中には、自分の役割をわきまえ、偉ぶらずに人の憑依を取ったり、純粋に人々の為に鎮魂を行う巫女や審神者もいましたが、


「我は、どこぞの神」と名乗っている人ほど、他人に対して口を開くと、批判とエゴと妬みだらけの言葉を巻き散らかすのです。「おまえが、どこそこの星を滅ぼした、改心しろ」とか「お前が邪神だ」「自分の方が霊格が上だ、おまえは下だ、」「チャクラが開いてないくせに」とか「アセンションできるのは誰誰で、できないのは誰だ」とエゴ丸出しで、霊能力の優劣を、妬んだり、批判しあったり、罵り合っているだけで始終、終わるのです。



この時の「おぞましい」と思えた記憶が、一連の投稿されている方と「何だか似てるな〜」とか思える訳です。私も、当時、ひょんなことで巫女になったとはいえ、こんな「おぞましい世界」に縁をしている自分や、霊能者と言われる人種に辟易し5年ほど巫女をした後に退会しました。(今から18年も前の話で、今の宇宙連合は、私の居た当時よりも、遥かにまともになっているようです。念のため^^)



その当時、自称「どこぞの神」や「どこそこから来た宇宙人」と言っていた彼らの、その後の顛末は、実生活においては、社会性はゼロ。相当おかしなことをしでかしたり、地から足が離れまくって、生活に困り、どこに行ってしまったのか、行方すら分からない状況だと聞きました。



霊がコントロールしている時は「どこぞの神だ」と偉ぶっていても、使い捨てられると、目も当てられない人生へと転落していく…そんな危うい世界。



こういった過去の教訓から「見える、聞こえるといった霊能力がある」ことと、その人の境涯は決してイコールではないし、むしろ、それらは魂の領域と繋がっているのではなく「4次元の幽界を彷徨う霊に自分を明け渡し、コントロールされている状態」の人の方が、実は圧倒的に多いのが実情だと、理解したのです。



要するに、興味本位で見えないことの情報と知識だけを集め、頭でっかちになり、エゴを外す修行のようなこともせず、他人との比較や優劣感を味わいたいだけで、いつしか霊能力が開いたかのように見える人の多くは、背後に自分以外の別な何かが憑いている霊障で、見える、聞こえるといったことが行えてしまい、高い次元から来る信号を得ている訳ではないのだと…



私はその時から、一切、霊力の類を求めるようなことはしなくなり、むしろ、自分のエネルギー意外の余計なものは、できる限り落とす、祓うことに意識を向けるようになりました。



そして今は「大転換していくこの時代に、人としてより良く進化して、天命を全うする「在り方」や「生き方」とは何か?それを探求し、洗練させて、ご縁ある方にコンテンツとしてお伝えできれば良いなと思えています。



そのプロセスで、いつしか、自分の境涯が上がり、レベルアップしたその先に「必要であれば」天命を生きるにふさわしい、何かが開いてくるのだろうと思えるのです。



もうひとつ、今回、感じたことは、「ものごとに善し悪しはなく、起こる事象から何を学ぶのか?」というだけのことと認識していますが、誰もが見極める力を培うことも今は必要な時代なのだろうと思えています。霊的なものを見極める為のひとつに…祈りで自分のエゴを薄くすることはもちろんですが、相手がどのような「言葉」「言霊」を使い、やり取りの中でどんな「反応」をするのかも、大事な要素ではないかと思うのです。



誰もが普段は普通に話しますが、何かの出来事が起こった時の反応や、人に何かを聞いてもらいたいと思う時に出る「言葉」は、その人の位置であったり、根底にあるものや背景に何が憑いているのかを現すもののひとつだと思います。



私が過去に縁をした「神と称していた霊能者たち」にも、その当時の私には分からない、彼等なりの「崇高な理論と理屈」はあったのでしょう。しかし、例えそれが、どんなに崇高な理屈であったとしても、誰かに何かを伝えようとする時に使う言葉や表現、反応、態度に「おぞましさ」や「支配」と受け取られるようなエネルギーを乗っけている限り、



宇宙法則的に、その方たちの創る環境や縁や世界は、決して良いものになっていかないことは自明の理です。「言葉」や「言霊」は結果の一番の因で、全ての源とも言われているし、その方の人生の現実を創り、引き寄せる「周波数そのもの」なのだと思うのです。



虚空蔵55様の回答して頂く言葉には、私が探求したい、天命を生き切る上での「在り方」「生き方」とは何か?に対しての良きヒントとなる言葉や、今を迷わずに生きる指針となる「言霊」が、たくさん散りばめられていて、私は、とても、ありがたいと思えています。


無理をせず、
全力を尽くし、
祈りを忘れず、
感謝を忘れず、
いつも自分を見つめ、
焦らず、たゆまず、
できることを、やるだけ…



以前に回答して頂いたこの言葉も、何かにつけて思い出し、自分の「在り方」の土台としてずっと傍らに定着させている言葉のひとつです。いろいろ、大変な事象もあるとは思いますが、ご自愛しつつ進まれてくださいますように…いつも、ありがとうございます。

2017・9・13

RIE様

以前「宇宙全史の講師はやがて雨後の筍の如く出て来るだろうよ」と仰った月読之大神のお言葉が遠い日の出来事のように思えます

とうとう一人になってしまいましたね

月読之大神の言葉はいつか(たぶん)実現するのでしょうが、この時期一人で講師をはるというのはちょっとカッコいいではありませんか

大変でしょうが

がんばって下さい



虚空蔵55